一貫性や主題がなく、手がかりのないものについて、多くを語らねばなりません。
未知との遭遇を喜んで迎える態度を耕すために、
「知らない」「わからない」ということに付きまとう引け目をものともせずに、
行動に移す必要がありました。
つまり、「わからないことを恐れないで」と言う前に、
まず私自身が「わかりません」と大きな声で言うこと。
わからないゆえに、私はダンスに対して過度な期待を抱いています。
ダンスの歴史を少しだけ学びましたが、その期待は肥大化するばかりです。
来るべき、ダンスが面白い世界のために、この作品を捧げます。
この作品の中で、私のダンスに対する態度には一貫性がありません。
「踊る系」「踊らない系」という言い方で言えば、どちらをも含んでいます。
私はクラシックバレエを習っていたので、私の踊りにはクラシックバレエも含まれています。
それで言えば、ピアノや吹奏楽も含まれているし、横浜や低血圧も含まれています。
「コンテンポラリーダンス」が終わったあとには、
おそらくコンテンポラリーダンスがそこに残るだけだろうという気がしています。
白井愛咲